哲学者としての釈迦
- itsumi
- 2018年2月2日
- 読了時間: 4分
更新日:2018年2月3日
早速わたしのワクワクするリクエストをいただきました。わーいわーい!ありがとうございます!
お題は、気になる人は一定数いるはず!宗教!についてです。
わたしは日本に生まれたので、仏教や神道に親しんで育ってきましたが、自分の信じる宗教とは?と言われたら、今のところ、無神論者です。これから釈迦についてつらつらと述べますが、無神論者です。
ただ、宗教自体に興味はずっとあって、いろいろなそっち方面の本を読むのも好きです。
ここ数年気に入っているのは仏教なんですが、日本の仏教ではなく、原始仏教と呼ばれる仏教です。

釈迦の生涯はここでは省略しますが、釈迦が悟りを開いた当時、仏教は宗教ではありませんでした。
釈迦の死後、インドから日本に仏教が渡ってくる間に、いろんな人たちがカルマだの輪廻転生だの菩薩だの観音だの般若心経だのありとあらゆるものを付け加え、宗教化していきました。
一つの定義によると、死後の世界について解くと「宗教」で、生きてる間のことを解くと「哲学」と呼ばれるそうです。
釈迦は神という存在も認めていませんし、死後の世界についても触れていません。
釈迦は「仮説(証明できないこと)を他人に押し付けることはいけないことだ。」と言っています。
死後の世界はあるかもしれないし、ないかもしれない。誰にも証明できないわけです。
その点でわたしは原始仏教は哲学、もしくは心理学に近いものと捉えています。
ではなぜ誰も見たことのない死後の世界を「こういうものだ!」と言い切る宗教に世界中の人たちは魅了されるのでしょうか?

人間の最大の恐怖は「死」だそうです。
その最大の恐怖で、生きている人間では誰も理解できない死、そして死後の世界を、世界のあらゆる宗教は「死後はこうなります!」と答えを与えてくれます。
そこで死への恐怖は薄れ、安心感すら覚えます。これが人間が宗教を必要とする一つの理由です。
わたしは死、および死後の世界についてほとんど興味がありません。
宗教はわたしには必要はないということです。
ただ、昔は起こってもいない将来のことを不安に思ったりしていた時期もありました。ハッキリ言います、それはバカのすることです。(これも仏教で詳しく解説されています)
そういう人に限って「今、ここ」を無視しています。
現在のわたしが興味があるのは、今、ここ。
釈迦が言っていたことも、今、ここ。
「今、ここ」をおろそかにして、あなたが望む、素敵な未来が訪れるでしょうか?え?ミラクルが起きる?もうそれは仏教でもどうにもできません。スピリチュアル専門の人に聞いてください。
そして釈迦は「人生は苦しいもの」と言っています。苦しいものだと理解しているからこそ、今、ここで、雨風をしのげる家があることがありがたい。
愛する人たちがいてくれることがありがたい。
一杯のコーヒーを飲めることがありがたい。あ、インドだったらチャイじゃないか?チャイ、美味しいですよね〜〜。(youtubeにトータス松本氏がチャイを作る動画あるんですけど、あのレシピ、簡単で美味しいですよ〜)
そんなことはさておき、幸せを感じられる心、それが大事じゃないでしょうか。ブルーハーツのヒロト氏も「幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ」と言ってましたね。日本は特に幸せに気付けない人が多い国ではないでしょうか?
全世界の人間に平等に与えられた人生をどう生きるか、宗教に有り金をはたいても、周りの人を裏切って成功しても、最新の流行を追いかけ続けても、答えは出ないと思います。
「人生とは」と、とことん考え抜いた釈迦という一人の「人間」の出した答えを知ってみるのが案外近道になるかもしれません。
と、ここまで書いたものの、実はこのテーマ、もっと広げたい!まだまだ書き足らないし、不足している部分も多々ある思うので、別の機会にもう少し掘り下げた内容を書いていきたいと思っています。
「この点についてはどうか」など、質問があれば、いつでも質問コーナーへどうぞ!わたしが小躍りで喜びます。
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